雑記

Kyoto.rs #2 参加・発表記

はじめての勉強会参加


Kyoto.rs #2に参加し、Graphiteについて発表してきました。

始めての勉強会参加だったので最初はカチコチでしたが、結果、本当に参加してよかった。

感想

皆さんの発表内容はどれも刺激的で、専門外の人にとっても楽しく分かりやすい内容になるような工夫が随所に。 飛び入り発表もあって、そして発表者と参加者でインタラクティブに進める時間があったりして、おお、技術が好きな人たちが、ここにいる、と静かに感動していました。

全部の発表を一個ずつ具体的に見ていくと無限長になってしまいそうなので割愛しますが、もっと理解できるようになりたい!とモチベーションがとても高まるものばかりでした。

懇親会では有難いことに優しくお声がけもいただき、皆さんとコミュニケーションを取らせていただけました。正直初参加で緊張気味だったのですが、なんというか皆同じ方向を向いているという感じで、あとお寿司の美味しさも相まって、純粋に楽しく過ごすことができました。

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そして私もGraphiteについて発表しました。ちょうどRust製だし、結構尖ったアプリケーションなので、あまりメジャーでないデータモデルなどなどを知ってもらうきっかけになればなと。こちらがそのスライドです。

最初はGoogle Slidesで作ろうかな〜と思っていたが、途中で、2Dグラフィックスエディタの紹介だったらそれ使えばよいのでは?と気づき、でもGraphiteにはスライドショーモードは無いのでそれを事前に実装したりと、割とバタバタに。

(なので今graphite.artを開いても本当はまだスライドショーには使えないのです、ごめんなさい!この話をオーナーのKeavonにしたら、今年のFOSDEM用に同じの作って別ブランチにあるよハハ、みたいな返事あって、先にそれ聞いとけばよかった〜とかもあったり)

全くの余談ですが

私が敬愛し可処分時間の全てを捧げている京都の劇団、ヨーロッパ企画を追っていると、「体に落ちる」というワードをよく耳にします。そして彼らが作劇するとき、エチュードと呼ばれる手法で稽古を始めるそうです。これは舞台設定だけでアドリブ演技をするという手法で、エチュードでの稽古を繰り返す中で出てきた面白い台詞やシチュエーションを作家が取り出し、台本のパーツを集めていきます。

なぜこのような方法を取られているかというと、エチュードを元にした台詞は元々は役者の体から出力されたものなので、それを作家が多少加工したとしても、役者の体への落ち具合が段違いに深いからだそうです。たしかにヨーロッパ企画のエチュード導入前後の過去公演を見くらべると、やはり導入後のものの方から、より強い説得力を感じられるのです。

じゃあエチュードで作らない外部の芝居はどうするの、それは100回練習して体に落とす、みたいな元も子もないような話もあって、つまりは舞台に上がって演技をする以上、元々体にあったものを出すか、それと同等レベルの説得力を持たせられるだけの練習量が必要ということらしいです。

発表してみて気づいたこと

脱線しきったところから戻って、今回スライドを用意しながら、各所で勉強会登壇がおすすめされているその理由をなんとなく理解できた気がして、なるほどなーと思っていました。

結論はスライドを作って練習する課程で技術への理解度が上がるよね、ということなんですが、感覚的にそれは技術記事を書くときにも近いが、もう一段階深いイメージ。

記事だとそれ自体が出力の全てなのに対して、発表はスライドだけでなく登壇者自身からの出力もある程度を占めますよね。なので話す内容の体への落ち具合がその発表における説得力に少なからず影響するはずで、だからこそ発表者は自然と既に理解度が深い範囲からテーマを選んでいるとも考えられると思います。ただそのテーマ全てが完全に体に落ちきっているのはレアケースなはずで、発表するとなると少なからず自分の出力として説明出来る理解度に持っていくことになり、そしてその水準は記事と比べて一つ深くなるのかなと。それを実際発表してみて肌で感じれたのがとても良かった。

コミュニティの意義

最近読んだ折登 樹さんの記事で、

AI と創作でどこまで AI に任せても拒絶感がないかについて、「『探索しながら作りたいものの形を見つけていく』というプロセスが AI 導入によって失われたかどうか」という観点で整理できるという説を提唱してみた。 まあ、この説が正しいのかどうかはわからないけど、個人的にはこの考え方がしっくりきてはいる。

と唱えられていて、私個人としても納得できる考え方だな、と思ったりしていた。(たまたま例にHoudiniなんかも上げられていたりして、なおのこと)

そしてKyoto.rs主催のひむらさんも以下のように仰っておられて、これにも非常に同意していた。

工学として見るともちろん少ないコストで安全かつ高速にプロダクトを作れることには価値があるし僕も興味津々ではあるのですが、それはそれとして趣味・遊びとしてのプログラミングをする上では泥臭いことをし続けたいし、そこに楽しみを見出し続けたいしそういう話を聞きたいのです。 パズルの例で言うと、バラバラの状態からピースを組み上げる部分を AI がやってくれようとしているような感覚で、素早くパズルが完成するのは良いのだけど、それだとパズルの楽しい部分を AI に取られてしまうなあという感覚なわけです。

ではどこに「自分でやりたい探索空間の境界」を決める要素があるのだろうと考えたのだが、多分それはもう原始的な喜びみたいなところに行き着くような気がしています。そしてコミュニティはその境界感覚が近い人達が集まれる場所なのだなと。

そんな場所を用意していただいて、ありがとうございました!若干ねっとり目の記事になってしまった!今後もどんどん参加してこ!